2009年7月
2009年7月 2日 (木)
2009年7月 5日 (日)
上町台地と河内湖
古い大阪をブラブラすると、どうしても上町台地が出てきます。
大昔の大阪湾は深く内陸に入り込んで、そこに上町台地が半島のように突き出ています。
枚方まで海だったようです。 二千年ほど前の古墳時代になって、口が塞がれて河内湖になりました。
仁徳天皇が今の大川を掘削して、その南に難波宮(なにわのみや)が出来たのが大阪の始まりです。
南に四天王寺が建立され大阪城が築城されて上町台地そのものが都市大阪になりました。
300年前にそれまで河内湖に流れ込んでいた大和川が西に向かって付け替えられて河内湖は干上がって河内平野になりました。
上町台地の西側には八十ヶほどの島が点在してました。 それが淀川の土砂で埋められて今の大阪になりました。
2009年7月 7日 (火)
大 阪 五 山

大阪港の海遊館の大観覧車の反対側に天保山公園があります。
行幸記念塔の下に「日本一低い山」の二等三角点(4.53㍍)があります。
昔、安治川の浚渫の際の盛り土で出来た築山ですが、国土地理院の地図に記載されている三角点としては一番低いものです。
上を湾岸高速道路が通り北側には天保山渡しの船着場があります。

ずっと南にさがって大正区役所の南隣に千島公園になっている昭和山(33㍍)があります。
地下鉄工事の残土を積み上げたもので海抜0㍍地帯にありますから中々立派な山です。
躑躅や蘇鉄の多い整備された公園です。
次は東に進んで上町台地に登ります。
生野区役所の東隣に御勝山古墳(約22㍍)があります。
もとは岡山と呼ばれておったのが、大阪夏の陣で徳川秀忠が陣を構え勝利したので御勝山になったと伝えられています。
前方後円墳だったのが南側を勝山通で削られて貧弱なものになりました。
大阪市史跡です。
南に降って天王寺公園の美術館の裏に茶臼山(約25㍍)があります。
古墳とも言われていますが、3世紀のころ和気清麻呂が河内からの排水を考えて豪を掘ったときの盛り土と河底池が正しいようです。
さらに南へ、南海高野線の帝塚山駅の西百㍍に帝塚山古墳(22㍍)があります。
このあたりは大小の古墳が散在しましたが、明治天皇が陸軍大演習の際にこの上から観戦したため宮内省が史跡と指定したため、これだけが残りました。
残念ですが大阪には築山ばかりで天然の山はありません。
しかし大阪一高い山と日本一低い山には何時までも登山したいと思っています。













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